ー新井秀人インタビュー #01ー前編

経営者の意思決定を、数字で支えたい 新井秀人が語る、公認会計士を目指した原点とこれから

公認会計士・税理士 新井秀人

子どもの頃に思い描いていたのは、意外にも「医者」という道でした。そこから公認会計士を目指し、大手監査法人での監査業務、M&Aアドバイザリーなどさまざまな経験を経て、現在は生まれ育った鴻巣で「こうのす未来会計」を運営する新井秀人さん。なぜ公認会計士を目指したのか。なぜ鴻巣で独立したのか。そして、経営者と向き合う中で大切にしていることとは。これまでの歩みと、数字を通して経営者の未来を支えるという仕事への想いについて、じっくりお話を伺いました。

このインタビューは前編・後編に分けて掲載しています。

後編を読む

INTERVIEW MEMBERS

  • 新井 秀人さん

    こうのす未来会計(新井公認会計士事務所/新井秀人税理士事務所)
    株式会社アンドエー / 公認会計士・税理士

  • 高木 恵子

    ブルーリーフデザイン株式会社
    代表取締役

医者を目指していた少年が、公認会計士を目指すまで

医者を目指していた少年が、公認会計士を目指すまで

高木

先生、本日はよろしくお願いいたします。まずは、新井先生ご自身について伺っていきたいと思います。現在、公認会計士・税理士として活躍されていますが、そもそもこの道を目指したきっかけは何だったのでしょうか?

新井

そうですね。当時は医療ドラマなどを見ても、お医者さんがすごくかっこよく見えていましたし、子どもながらに「医者っていいな」と思っていました。それに、仕事としてきちんと収入を得られるというところにも魅力を感じていて、子どもの頃から「なれるなら医者になりたい」と思っていたんです。高校に入ってからもその気持ちは変わらなかったので、理系に進みました。高校2年、3年と理系の勉強を続けていたんですが、高校3年生になって、本格的に進路を考える時期がきたんですね。「どこの大学の医学部を受けるのか」と、具体的に考え始めたときに、ふと気づいたことがありました。生物は好きだったんですけど、化学や物理は、実はあまり好きじゃなかったんです(笑)

高木

意外ですね。会計士というと数字や計算をたくさん扱うイメージがありますが、理系科目とはまた違うんですね。

新井

そうなんですよね。数学や数字そのものは、もともと好きだったので、理系でも全然大丈夫だろうと思っていたんです。ただ、実際に化学や物理を本格的に勉強してみると、「あまり自分には合っていないな」「そこまで面白いと思えないな」と感じるようになってきました。高校3年生になって、いよいよ本格的に受験勉強を始めようとしたときに、「好きでもないことを、この先ずっと勉強していくのは結構つらいな」と思い始めたんですね。そこで初めて、「自分は本当に医者になりたいんだろうか」「本当に医学部に行きたいんだろうか」と、自分に問い直すようになりました。考えていくうちに、実は心の底から医者になりたいと思っていたわけではないのかもしれない、と気づいたんです。改めて「自分は何が好きなんだろう」と考えてみると、数学や数字はやっぱり好きでした。それに、お金に関することやビジネス、会社がどうすればうまく成長していくのかといった、経営に関する話にも興味があったんです。ニュースを見ていても、そういう話題には自然と目が向いていました。そこで、商学部や経済学部、経営学部のような分野に進もうと考えるようになりました。
幸い、そうした学部には数学で受験できる大学も多かったので、高校3年生の初めに、医学部を目指す理系の進路から、いわゆる「文転」をすることにしたんです。これが、自分にとって最初の大きなターニングポイントでした。その後、大学の商学部に進学しました。大学に入ると、大原やTACといった資格専門学校が、新入生向けにいろいろな資格の説明会を開いていたんですね。商学部や経済学部の学生向けには、税理士や公認会計士といった資格の説明会も多くて、その中の一つに参加したのが、公認会計士という仕事を知ったきっかけでした。そこで、公認会計士がどんな資格で、どんな仕事をするのかという話を聞きました。企業の決算書を監査して、企業が正しい情報を開示しているかをチェックする。公認会計士は「市場の番人」とも言われていますが、投資家などが安心して企業を判断できるようにする役割があるんですね。でも、それだけではありませんでした。企業の中に入ってCFOとして経営に携わったり、財務面から事業の成長を支えたりする道もある。コンサルティング会社で財務のアドバイスをしたり、M&Aやファンドの世界で活躍したり、独立して自分の事務所を持つこともできる。話を聞けば聞くほど、「こんなに選択肢の広い資格なんだ」と驚きました。
しかも、「収入もしっかり得られますよ」という話もあって(笑)。自分が興味を持っていた数字やお金、ビジネスに関わることができて、さらに将来の選択肢も広い。「これはすごく魅力的だな」と思ったんです。もともと私は、会社員として一つの会社にずっと勤めるというよりも、何か専門性を身につけて、手に職を持って働きたいという気持ちがありました。会社員だと、いろいろな調整をしたり、自分が希望していなくても営業を担当したりと、自分で仕事を選べない部分もありますよね。

高木

確かに、会社に勤めていると、自分の希望だけで仕事を選べるわけではないですものね。

カンボジアでの経験が、人生のスイッチを入れた

カンボジアでの経験が、人生のスイッチを入れた

新井

そういうイメージがあったので、会社の中で与えられた仕事をこなすよりも、自分で専門性を身につけて、手に職を持って働く方が自分には合っているんじゃないかと思ったんです。そこにすごく魅力を感じて、「じゃあ、公認会計士の資格を勉強してみようかな。目指してみようかな」と思ったのが、最初のきっかけでした。大学に入学してすぐの頃には、そんな気持ちがあったんです。ただ、大学生活ってやっぱり楽しいんですよね(笑)サークルに入って、友達と遊んだり、出かけたりしているうちに、本当にあっという間に1年が過ぎてしまいました。正直に言うと、大学1年目はほとんど遊んで終わってしまったんです。そして、1年生から2年生になる春休みの頃でした。周りの友人から、夏休みに東南アジアへバックパックを背負って旅行したという話を聞くことがあって、それがすごく楽しそうに思えたんですね。そこで、友人と2人で、春休みに2〜3週間ほどタイへバックパックの旅に出ることにしました。最初はバンコクを拠点にして、ゲストハウスに泊まりながら、タイ国内のいろいろな場所を回っていました。そして旅の最後の1週間くらいになったとき、「せっかくだから、カンボジアのアンコールワットも見に行こう」という話になったんです。当時は大学生で、もちろんお金もあまりありません。一番安く移動できる方法が陸路のバスだったので、10時間ほどかけて、タイからカンボジアへ向かうことにしました。

高木

10時間のバス移動ですか。なかなかきつそうですね。

新井

きつかったですね(笑)今思うと、本当に若くて体力があったからできたなと思います。

高木

それはそうですよね(笑)

新井

本当に、今思えばよく乗ったなというようなバスでした(笑)。「いつの年式なんだろう」と思うくらい古くて、とにかく走ればいい、というような感じでしたし、道も日本のようにきれいに舗装されているわけではありません。ガタガタの道を、何時間も揺られながら進んでいきました。でも、その旅の途中で、自分にとって大きな転機になる出来事があったんです。タイからカンボジアに入るとき、国境で一度バスを降りて、入国審査を受けました。手続きを終えて、歩いてカンボジア側へ入ったんですが、そこで目にした光景が、すごく衝撃的だったんです。近くに水路のような場所があったんですが、水は濁っていて、ヘドロやゴミが浮いていて、においもかなり強烈でした。「こんな環境が本当にあるんだ」と、まずそこで驚きました。すると今度は、まだ幼い子どもたちが、上半身裸のままこちらへ近づいてきたんです。最初は何だろうと思ったんですが、自分たちで作った小さな小物のようなものを持っていて、「これを買ってほしい」と必死に訴えてくるんですね。金額としては、僕たちにとってはそれほど大きなお金ではありませんでした。でも、その子たちにとっては、きっと生活のために必要なお金だったんだと思います。それまでにも、貧しい地域の暮らしをニュースや新聞などで見たことはありました。でも、画面や紙面を通して見るのと、自分がその場所に立って、目の前で見るのとでは、まったく違いました。「本当にこういう世界があるんだ」と、ものすごく衝撃を受けたんです。そして、その子どもたちが、そこまでして生きるために必死になっている姿を見たときに、逆に、自分がどれだけ恵まれた環境で生きてきたのかを思い知らされました。

高木

学校に通えているのかどうかも、分からないような環境ですよね。

新井

そうなんです。自分は、食べるものに困ることもなく、進学するかどうか、どんな道に進むかということも、自分の努力次第で選べる環境にいました。その子たちとは、本当に全く違う環境だったんだなと思いました。そして、自分自身のことを振り返ったときに、ふと思ったんです。「この1年間、自分は何をしていたんだろう」と。せっかく大学に入ったのに、入学したことで満足して、遊んでばかりいたんじゃないか。そんなふうに、自分の過ごし方を初めて本気で振り返りました。

カンボジアでの経験が、人生のスイッチを入れた

高木

そこで、考え方が大きく変わったんですね。

新井

そのとき、大学に入った頃から頭の片隅にあった「いつか会計士の勉強をしよう」という気持ちが、ふっと浮かんできたんです。公認会計士は、簡単に取れる資格ではありません。だからこそ、ここからは本気で勉強しなければいけない、自分に与えられた環境を当たり前だと思わず、きちんと向き合わなければいけない、と強く思いました。そして、「公認会計士になる」という目標を、今度こそ本気で達成しようと決めたんです。それだけではなくて、会計士になってしっかり仕事をして、自分の力で収入を得られるようになったら、いつか、自分の力だけではなかなか将来を変えることができない子どもたちのために、何かできる人になりたいと思いました。金銭的な援助でもいいですし、それ以外の形でもいい。何かしらの支援やサポートができるようになりたい。そこで、本当に自分の中のスイッチが入ったんです。振り返ってみると、あの経験が、自分が本気で公認会計士を目指したきっかけだったと思います。

高木

もしその経験がなかったら、勉強にもそこまで本気になれていなかったかもしれないですね。

新井

そうですね。そのまま大学4年間、遊んで過ごしていたかもしれません(笑)だから、あの経験は本当に良かったと思っています。

高木

一緒に旅行されたお友達からも、「変わった」と言われたそうですね。

新井

今でも言われます。一緒に行った友人から、「あのとき、本当に目つきも顔つきも変わったよね。急に『俺、会計士を目指す』って言い出したよね」と。自分ではそこまで分からなかったんですが、周りから見ても、それくらい大きく変わったタイミングだったんだと思います。

高木

それほど大きな転機だったんですね。公認会計士を目指したきっかけが、まさかカンボジアでの経験だったとは思っていなかったので、とても印象に残りました。

監査とM&Aで学んだ、「会社を見る力」

監査とM&Aで学んだ、「会社を見る力」

高木

では、公認会計士になられてから、これまでどのようなお仕事を経験されてきたのでしょうか。特に印象に残っている仕事について教えてください。

新井

これまで、いろいろな仕事を経験してきました。公認会計士になったのは2010年で、最初は多くの会計士がキャリアをスタートする監査法人に入りました。

高木

大手の監査法人ですよね。

新井

はい。いわゆる「BIG4」と呼ばれる大手の会計事務所グループの一つです。そこで最初に担当したのが、公認会計士の独占業務でもある「会計監査」でした。企業が作成した決算書を確認して、その内容が適正かどうかを判断し、最終的に監査報告書として意見を出す仕事です。上場企業には会計監査を受ける義務がありますので、主にそうした企業を対象に監査を行っていました。この仕事は、自分にとってとてもいい経験になりました。大きな会社や、さまざまな業種の企業を担当させてもらったことで、「会社というものが、実際にどう動いているのか」を知ることができたからです。会計監査というと、一言でいえば「決算書をチェックする仕事」なんですが、決算書に出てくる数字は、突然できるものではありません。その会社が日々行っている取引や事業活動が積み重なって、最終的に数字として表れているものなんです。

高木

確かに、数字だけを見ているわけではなく、その背景にある会社の動きまで見ていくんですね。

新井

監査では、その数字が本当に正しいのか、適正なのかを判断するために、数字だけを見るわけではありません。その会社がどんなビジネスをしているのか、どんな取引があって、その数字に至るまでにどんな流れがあるのか。組織のこと、商流のこと、人の動き、もちろんお金の流れも含めて、会社全体を理解した上でチェックしていくんです。

高木

なるほど。決算書の数字だけを見て判断するわけではないんですね。

新井

そうなんです。会社そのものを理解していなければ、その数字が本当に正しいのかどうかは判断できません。ですから、監査では企業を深く理解するところに、とても時間をかけます。その経験を通じて、会社がどういう仕組みで動いていて、どうやってビジネスが成り立っているのかを、全体として捉えられるようになりました。これは今の仕事にもすごく生きていますし、振り返ってみても、会計監査の経験が自分の大きな土台になっていると思います。監査の仕事を5年ほど経験した後、グループ会社の「デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー」に移り、2年ほどM&Aのアドバイザリー業務を担当しました。もともと私は、会計監査そのものをやりたくて公認会計士になったというよりも、経営に関わるコンサルティングや、財務面から企業を支援する仕事に魅力を感じて会計士を目指したところがありました。そこで、監査を5年ほど経験して、会計士としての基礎がある程度身についたタイミングで、「今度はM&Aやアドバイザリーの仕事をやってみたい」と考えたんです。M&Aというと、一つの仕事のように見えるかもしれませんが、実際にはさまざまな専門家が関わっています。売り手と買い手をつなぐ人もいれば、それぞれの立場で交渉を支援する人もいる。また、会社を買う側からすれば、「この会社は本当に買って大丈夫なのか」ということを詳しく調べる必要があります。そのための調査をする専門家もいますし、その会社にどれくらいの価値があるのかを算定する専門家もいます。そうした多くの人たちが関わって、一つのM&A、いわゆる「ディール」が成立していくんです。その中で、私は主に二つの立場で仕事をしていました。一つは、会社を売る側の支援です。

監査とM&Aで学んだ、「会社を見る力」

高木

売り手側のサポートをされていたんですね。

新井

そうです。例えば、買い手側が企業の調査をするときには、売り手側からさまざまな資料を提出する必要があります。その資料を準備したり、買い手側から来る質問への回答を一緒に考えたりするのが、売り手側の支援の一つです。さらに、会社を丸ごと売るのではなく、「この事業だけを売りたい」というケースもあります。会社全体であれば決算書がありますが、一つの事業部だけとなると、その事業だけの正式な決算書が存在しないこともあります。

高木

確かに、会社全体の数字から、その事業だけを切り分ける必要がありますね。

新井

はい。そこで、その事業だけの損益や資産の状況を整理して、決算書に準じた資料を作り、買い手側に提示できるようにする。そうしたサポートも行っていました。もう一つは、逆に買い手側に立って、買収しようとしている会社を調査する仕事です。これは「デューデリジェンス」と呼ばれるもので、私は主に財務面からの調査を担当していました。企業の財務状況を詳しく調べて、「こういう課題があります」「ここにはリスクがあります」といった内容をレポートにまとめ、買い手側に伝えます。それをもとに買い手側は、「このリスクを価格に反映させた方がいいのではないか」と判断したり、買収後に「この部分は改善が必要だ」と事前に準備したりするわけです。そうしたM&Aの仕事を2年ほど経験した後、実はもう一度、監査の仕事に戻りました。M&Aの仕事を経験する中で、改めて「監査を受けていることの価値」に気づいたんです。同じ会社の数字を見るにしても、外部の監査を受けている会社と、受けていない会社では、やはり数字に対する信頼感が違いますよね。

高木

それはありますね。第三者が確認しているというだけでも、安心感はかなり違うと思います。

なぜ、もう一度監査に戻ったのか

なぜ、もう一度監査に戻ったのか

新井

最初に5年間監査をやっていた頃は、正直、「このチェックは、誰の役に立っているんだろう」と感じることがあったんです。監査の結果を必要としているのは、市場の投資家など、僕たちが直接会うことのない人たちです。ですから、自分たちの仕事が誰かの役に立っているという実感や、直接「ありがとう」と言ってもらえるような機会は、あまりありませんでした。一方で、実際に向き合う会社の方からすると、僕たちは「監査する側」ですよね。

高木

チェックされる側からすると、どうしても少し距離はできますよね。

新井

そうなんです。もちろん関係は良いですし、僕たちも会社のためを思って仕事をしています。ただ、相手からすれば「下手なことは言えないな」と思う部分もありますし、どうしても一定の距離ができる。そういう中で、「監査って、本当に意味のある仕事なんだろうか」と考えることもありました。でも、M&Aのアドバイザリー業務に移って、監査とは違う立場から会社を見るようになったことで、その考えが変わったんです。監査を受けている会社と、受けていない会社では、最初に数字を見るときの信頼感がまったく違うんですよね。「ここは監査を受けている会社だから、ある程度数字はきちんとしているだろう」と思える一方で、監査を受けていない会社の場合は、「少し慎重に見た方がいいな」と考える。

高木

確かに、第三者のチェックが入っているかどうかで、数字の見え方は変わりますよね。

新井

そうなんです。そこで初めて、「監査って、実はすごく価値のある仕事なんだな」と改めて感じました。M&Aの仕事は2年間の出向だったんですが、そのままアドバイザリー側に移る人もいる中で、僕はもう一度監査の仕事に戻りました。そこから、さらに3年ほど監査を経験しました。そして、その後に独立することになります。

大手監査法人から独立へ。鴻巣で仕事をするという選択

大手監査法人から独立へ。鴻巣で仕事をするという選択

高木

監査の価値を改めて感じて戻られたわけですよね。そこから独立して、鴻巣に戻ってこられた。そのきっかけは何だったのでしょうか。

新井

そうなんです。M&Aの仕事を経験して「監査って価値があるんだな」と思って戻ったので、そのまま監査の世界でキャリアを続ければいいようにも見えますよね。

高木

自然な流れとしては、そうですよね。

新井

ただ、監査に戻って3年ほど働く中で、年次も上がって、当時は「マネージャー」という役職になっていました。一般の会社でいうと、課長くらいの立場ですね。

高木

部下もいて、上司もいる。まさに中間管理職ですね。

新井

そうなんです。それまで現場にいた頃は、会社の担当者と直接話しながら、「この会計処理はどうするのが一番いいんだろう」と考えたり、相談に乗ったり、一緒に落としどころを探したりする仕事が中心でした。自分の専門性を使って判断したり、自分の考えを相手に伝えたりすることができていたんです。でも、マネージャーになると、仕事の内容が少し変わってきます。部下のフォローをしたり、上司の意向を現場に伝えたり、逆に会社側の考えを上司に説明したり。業務のかなりの部分が「調整」になっていったんです。

大手監査法人から独立へ。鴻巣で仕事をするという選択

高木

会計そのものよりも、人や組織の間を調整する仕事が増えていったんですね。

新井

そうですね。もちろん、それも大切な仕事なんです。ただ、自分としては「こちらの判断の方がいい」と思っていても、組織として別の判断になれば、そちらの方針で会社と話をしなければいけないこともあります。そうなると、自分自身が専門家として判断できる範囲が、だんだん狭くなっていくように感じたんです。それが、すごくストレスになってきました。そしてあるとき、ふと思ったんです。「そもそも、自分は何で会計士になったんだっけ」と。最初にもお話ししたように、僕はもともと、組織の中で調整ばかりするような働き方より、自分で専門性を身につけて、手に職を持って仕事をしたいと思って公認会計士を目指したんです。でも、その頃の自分がやっていることを振り返ると、「これ、すごくサラリーマンっぽいな」と思ったんですよね。サラリーマン的な働き方をしたくなくて会計士になったのに、結局また組織の中で調整をしている。デロイトのような何千人もいる大きな組織で働いている以上、役職が上がったとしても、どこまでいっても組織の一員であることには変わらないんじゃないか。そんなことを考えるようになったんです。

高木

そこで、「自分が本当にしたかった働き方とは違う」と気づいてしまったんですね。

新井

そうなんです。気づいてしまったんですよね(笑)ちょうどその頃、鴻巣に戻ってきたタイミングでもありました。子どもが生まれて家族ができ、それまでは都内で暮らしていたんですが、子育てをするなら、やっぱり自分にとって馴染みのある埼玉がいいなと思うようになったんです。最初は浦和あたりで家を探していたんですが、「浦和は高いな」と(笑)。もともと、いつかは鴻巣に戻ろうという気持ちもあったので、妻とも話をして、「だったら、このタイミングで実家のある鴻巣に戻ろう」と決めました。ちょうど鴻巣へ戻ってきたことと、仕事の中で感じていたモヤモヤが重なったんです。それなら、自分で判断しながら仕事をしていく方が、自分にとっては仕事の喜びや、やりがいを感じられるんじゃないか。そう思って、「独立しよう」と決めました。

高木

鴻巣に戻られたことも、独立を考える大きなきっかけだったんですね。

新井

そうですね。独立してからは、よく「なんで鴻巣なの?」と聞かれました。会計士の仕事だけを考えれば、大きな会社は都内に集中していますし、「仕事をするなら東京の方がいいんじゃないか」「せめて浦和や大宮じゃないの?」と言われることもありました。

大手監査法人から独立へ。鴻巣で仕事をするという選択

高木

鴻巣からでも、都内には十分通えますものね。

新井

そうなんです。でも、自分は鴻巣でやりたいと思っていました。うちは先祖代々、ずっと鴻巣に住んできた家系なんです。僕は姉との二人きょうだいで長男なので、子どもの頃から父に「いずれは鴻巣に戻ってきて、家を継ぐんだぞ」というような話をされてきました。昔ながらの考え方ではありますが、僕自身も「いつかは鴻巣に戻って、この場所で暮らしていくんだろうな」という気持ちはずっと持っていました。それに、そうした家族の影響とは別に、僕自身が鴻巣という土地をすごく好きなんです。子どもの頃から、人間関係にも恵まれていましたし、今でも付き合いが続いている友人がたくさんいます。ものすごく何でもある街というわけではありませんが、生活に不自由することはありませんし、必要なものがあれば少し足を伸ばせば手に入る。自分にとっては、とても過ごしやすい場所でした。

高木

生活するには本当に不自由がないですよね。

新井

はい。鴻巣の人たちも温かいですし、この街で楽しい子ども時代、学生時代を過ごすことができました。だから、自分がここで仕事をすることで、少しでも鴻巣に恩返しができたらいいなという気持ちもありました。大宮でも浦和でも東京でもなく、生まれ育ったこの鴻巣で仕事をして、地域に貢献していきたい。それが、鴻巣で開業した理由の一つです。

高木

この辺りは自然もありますし、子育てをするにも暮らしやすいですよね。

新井

そうですね。自然もあって、それでいて便利ですし、いいところだと思います。

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